androidやiPhoneと云った端末機と、母艦パソコンとのデータ共有に使えるストレージサービスがいろいろあるが、クラウドについて思うところをとりとめもなく書いてみる。
androidはgoogleとの親和性が高いということと、パソコンからはブラウザでほぼ完了するというところが売りで、docsやpicasaと云ったサービスは非常に便利である。端末のOSに依存しないというところがいい。iOSでも問題なく使えるし、使い勝手はあるだろうがアプリケーションもある。
iPhone4Sを購入して、iOSというものに触れて、今まで漠然と感じていた林檎に対する抵抗感をiCloudで確信してしまったという話なのだが、まぁ結論を書いてしまったけれども思うところは以下。
iCloudに対する制約は多く、まずOSXかiOS5を持っていることがサービスを受けられる条件になる。窓機で使うにはアプリケーションが必要だが、OSはvista以降限定。囲い込みのための条件付けはわかるが、あまりにもあんまりなハードルの高さである。
それでいてiCloudならではの機能はといえば、ないに等しい。いや、wi-fi環境じゃないと同期しないとかいろんなオマケはあるんだけど、これ使いたいよね!って機能はないと感じた。あくまでも個人の感想であって、宗教の自由は否定しない。
クラウドコンピューティングとかユビキタスとか、昔流行った言葉でほぼ死語になりつつあるが、概念は携帯電話やスマートフォンはそれに相当するものになりつつある。ユーザーが選択するに値するサービスとハードルが見合っていればいいんだけれども、どうも林檎さんの考え方はOS依存になってしまっているのが残念である。
M$と林檎のOSシェア争いの亡霊に取り付かれているんだろうか。そんな古い時代のあれやこれやは、もう神話扱いされていると思うわけで、その頃のことを引きずっていると時代に取り残されやしないだろうか。
Macは画期的なソフトとハードだったが、囲い込みに失敗して、後発の窓にシェアを食われた。同じことがまた起きるような予感がしなくもないと、iCloudを触ってみて思った次第。
もうjobsはいない。神になったのかもしれないが、いくら祈っても、もう助けてはくれないし、奇跡の復活も現代には存在しない。
これからも進化を続けるだろうと思う分野だけにいろいろ気になる。
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