2012年3月11日日曜日

20110311

昨年の東日本大震災を新宿の映画館で迎えた。

その日は休みをとりガンダムUCを見ていたのだが、映画が始まってすぐに揺れを感じ、映画のスクリーンが波を打ち始めた。映画館の建物は新しく、かなり頑丈なはずなのだが終わらない揺れに動揺する。慌てて外に出ようと走る人が現れ始めた頃、動画が止まり、館内に電気が灯った。非常灯ではなく、普通の場内照明だったと思う。
スマートフォンの電源を入れて情報をみると、どうやら東北地方で大きな地震が起きたらしい。
やがて場内放送が流れ、屋外に避難するよう誘導された。
新宿ならば、屋外での落下物の危険を考えたら、新しい頑丈な建物の中にいたほうがいい。そう考えると、一旦は外に誘導されたがすぐに映画館ロビーに戻り、家族と連絡を取ろうと電話をかける。が、当然のように回線はパンクしておりなかなかつながらない。数十分格闘して、やっと連絡がとれて安堵したころには、映画中断によるチケット払い戻しが行われていた。

さて、どうするかと考えたが、その日に買おうと予定していた液晶モニターを見にヨドバシに向かった。今考えればなんでそんなことしたんだろうと思うが、恐らく冷静さを欠いていて本来目的と状況とを合理的に考えられなかったのだろう。当然、大きな余震は何度もあったし、家電店の店頭では地震の影響なんかがテレビで流れていたわけで、マトモな精神状態じゃなかったなぁ。
目的のモニターを買ったところで、駅に向かう。当然のように電車は全面ストップで運行再開の目処はたってないとのアナウンス。バスで帰ろうとバス停に向かうが、やはり混雑している。結果としてはすぐに乗れて無事帰宅できたのだが、道路は混雑していたのを覚えている。
通常ならば、混雑していても20分もあれば最寄のバス停に着くのだが、そのときは1時間近くかかった。バスの中も当然混雑していて、必死に電話をかけている人も少なくなかった。事態が事態だけに、迷惑だのなんだのと言う人もいなかったと思う。
帰宅して、家族の無事、家の無事を確認。無事とは云っても部屋の中はとっちらかっていたし、壁にも亀裂が入っていた。冷静に見たら無事じゃなかったんだよな。

夕刻になり、嫁から帰れないと携帯にメールが届く。電車は止まっているがバスは動いているので帰れないわけではないのだが、まぁ方向音痴で地理や交通に疎い人間に無理させてもよろしくない。同僚の家に泊めてもらえることになったとのことで、緊急時にどうするかという確認を取ってその日は終わった。

数日後、大槌町で商売を営んでいた嫁の伯父伯母が行方不明であるという連絡が入る。地震直後に電話で無事を確認していたのに、その後連絡がとれないのだという。
情報を集めるが、どうしたっていい情報はない。地震後、町長が会議を開くと言ってから連絡が取れなくなった、火事が起きた、大津波が襲ったらしいetcetc...検索するも、避難所は高台にしかないらしい、伯父伯母のいた店舗のあたりは津波で壊滅したらしい、全てが不確定ながらも絶望的な情報しかなかった。

その数日後、伯父の遺体が発見されたという連絡が入った。従兄弟が現地に入るべく準備をしていたときのことだった。
伯父の上半身は火災により焼けてしまっていたが、下半身は焼けておらず、ズボンのポケットに入っていた免許証で本人の確認ができた。その免許証の入ったパスケースには、伯母の写真が入っていた。

伯母は未だに行方不明。従兄弟はまだ探している。

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