数年前には韓流という言葉があり、肯定的に韓国を見ている人が少なくなかった。その頃から比較して、ここ数年はいわゆる謙韓という言葉のほうが多く使用されている。この変化は一体なんだろう。
私個人は韓流ブーム前から数回旅行で訪れており、基本的にフラットな立ち位置で観察しているつもりなのだが、謙韓の主張はうなづけることが少なくない。
韓国女性アイドルも一時期は売れていたが、長続きしなかったので、ブームとはちょっと違うだろうな。
さて、謙韓はどのようなところに発生しているのであろうかと考えてみるが、よくよく見ていくと、韓国本来の姿をよく知らずに批判している人が少なくない。それではその感情の根拠はどこから産まれてくるのであろうか。
韓国人・北朝鮮人を否定的に見る感覚は、戦中、戦後に確立したものと考えている。戦後には、三国人という、現在は差別的とされる表現がなされていた。
三国人という単語の発生経緯は、決して差別用語ではない。戦勝国でも敗戦国でもない国籍で日本に住む難民として、GHQも使用していた言葉である。これが差別用語と認識されるのは、何かの事件が起きた際に、三国人による犯行という報道が行われ、それがやがて差別的意味合いを深めたものとされている。
諸説あるが、三国人そのものは差別用語ではなく、結果的に差別用語として使用されるように変遷したのだろう。「三国人による不法占拠」された土地は日本国内に少なくないし、彼らが違法薬物の製造販売を行ってきた歴史も事実。勤勉で真面目な人も少なくないが、悪印象の方が評価では重視される傾向があるので、残念な方向で印象付けられている。
そうなってくると、いわゆる謙韓は、韓国・北朝鮮に対するものではなく、在日韓国人・北朝鮮人を対象としたものではなかろうか、と仮定できる。そもそも、日本と韓国の国交正常化からまだ50年経過していない。お互いが憎みあうにはあまりにも短い時間である。
両国間で問題とされる日韓併合については、あくまで日清戦争、日露戦争の結果、清国、ロシアから統治権を譲渡されたものであり、朝鮮半島を武力制圧した歴史ではない。その後に実施された、日本政府による総督府の設立による統治の開始を侵略という理解をすることには違和感がある。
豊臣秀吉が朝鮮出兵した歴史はあるが、これはあまりにも昔のことであり、また明国との戦闘がほとんどであったことから、検討の対象から外す。
話がずれたが、日本から積極的に韓国を嫌うような事例は、歴史的にはあまり考えられない。そうすると昨今のことになるが、竹島問題、日本をdisるロビー活動、従軍慰安婦問題、あたりの日本に対する攻撃的外交が日本人の気分を損ねる根拠となる可能性は高い。また、反日教育に培われた感情をぶつけられた日本人が気分を害することもあっただろう。しかしながらあくまでもトリガーにはなりうるが、謙韓の根拠にはならないレベルである。
また、謙韓の多くは韓国を対象としたものよりも、在日韓国人を対象としていることの方が多いように感じている。これは前述、三国人が差別的意味合いを含んだ頃から明確になったものと推測している。昨今よくみるしばき隊なんてものはその象徴だろう。
GHQに難民指定されているにも関わらず母国に帰らずに土地を不法占拠した事実は、田舎であればある程に否定的に見られただろう。もちろん戦後帰国した人も少なくないのだが、残った人達への否定的感情の方が印象的であったことは想像するに容易い。
また、特例措置的に日本に居住し、生活保護等の日本行政による福利厚生を利用しているにも関わらず、日本国籍にしていないことに対する否定的な感情もあるだろう。そのあたりが積もり積もった結果なんだろう。
彼らに対しては、韓国本国も問題として認識している。外国居住者に対しても徴兵制対象とする動きはその一つであり、これは日韓両政府の話し合いと協力が欠かせない。
国民の管理は国にとって最大のテーマであるはずだが、これが遅々として進まない。日韓両国間に存在する溝が埋められないことに起因しているが、その溝の原因が海外居住者にあるとすれば、これはどうにもならないことかもしれない。例えばロッテは、日本では韓国系企業と認識されているが、韓国では日系企業と認識されている。このような相互認識のズレが少なくない。まずはそのあたりから認識をあらためて定義付けしていくことが必要なのだろう。
個人的には、地政学的に日本と韓国は協力することが経済的合理性が高いと考えている。しかしながら、それが困難であるという現実は、非常にもったいないことだ。もう少し、経済的合理性を優先した国交ができることを願わずにいられない。感情的な問題は、その後から考えてよいのではなかろうかと思った次第である。
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