ネタバレなので、これから観るんだ!と楽しみにしている人はスルーでお願いします。
先週、スタジオジブリの新作「風立ちぬ」を嫁さんと観賞。終わった瞬間「これはないよね」とお互いに確認したという次第。
時代背景は明治から大正、昭和初期。
ただし、作品中には時代を明らかにする注釈は一言も出てきていない。単に、関東大震災らしき地震と火災があり、その当時に主人公が東大生でいたことから、少年時代は明治時代だっただろうという推測をした。そして、第二次世界大戦に開発・配備された通称ゼロ戦が空を飛んでいるところが最後のシーンということで、昭和20年位までの物語なのだろうという推測になる。
日本人だから、関東大震災が東京で火災のあったことを知っているし、本郷の大学といえば東大になるというのもわかるし、ゼロ戦といえば第二次世界大戦であるということもわかる。ただ、その説明が全くない。文字で示された具体的な時空間は、名古屋駅と工場に書かれた「三菱重工」くらいだった。
構成は、短時間でぶつ切りの場面転換されまくりで、ジブリによくある数十分を連続としたクライマックスシーンはなかった。粗筋を見せられている気分になる。
キャッチフレーズの「-生きねば」という言葉から感じる盛り上がりがなく、日常の中で淡々と時間が消化されている。その日常の消化をキャッチフレーズにしたのだろうが、しっくりとしない。時間軸となる唯一の表現として「私の10年間/君の10年間」というのがあるが、映画の中で時間が示されていないので、どこからどこまでが10年だったのかもわからない。
他にもいろいろあるが、私なりにまとめてしまうと「宮崎駿の頭の中に描いた壮大な物語の粗筋を、宮崎駿がわかる表現のみで構築され、他者のイメージを一切排除した宮崎駿ワールド」ということになる。
主人公の声に愛弟子の庵野を使い、声優・俳優を使わなかったのも、宮崎駿の世界に他者の意思が入り込むことを拒むための手段なのだろう。公開前のテレビの特番にて、宮崎氏が「声優や俳優は自分を出したがるからいやだ」と言っていたのはこのことなんだろう。庵野はプロではないので、宮崎が要求した通りに発音するし、抵抗しない。でも庵野はハズレだと思う。
さて、風立ちぬの評価・評判はいろいろあるが、宮崎駿監督とかスタジオジブリという単語からいい作品だという思い込みがある人には、名作とされるかもしれない。飛行機の姿や、人の感情表現なんかは、さすがに見ごたえがあり美しい。クレソンを食べまくる謎のドイツ人との接触からの特高調査で課長宅の離れに引越し、そこを結婚生活の場にするところなんかはさすがだなぁと思った。
しかしながら、様々な背景説明を省略し、観賞する側の知識と理解力に依存したところが多すぎること、また回収できなかった伏線があったのも「らしくない」作品だ。
アートとしては成立するだろうが、エンターテイメントではない。
宮崎駿に意見し、説得できる人はいないだろう。最高権力者が老害化してしまうと残念な結果になるといういい事例になったのではないかと考える。
カリオストロの城から完全にはまってしまった元マニアとしては、残念で仕方がない。
あと、ホモかどうかという議論も一部にあるが、あれはホモではない。物質愛、所謂フェチ、の同好の志のマニアックな語らいである。鯖の骨のラインの美しさを語り合っているんだ。高尚な物質愛の語らいは、腐女子にはわかるまい。
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